朗読と演奏の会『Hear Our Roar』スピーチ全文(柚木麻子さん作『その手をにぎりたい』によせて)

こんにちは。Scarlet & Juneのつかさです。今日は来てくださりありがとうございます。
 私が読むのは柚木麻子さんの『あなたの手をにぎりたい』という作品の一節です。 

お話を少し説明すると、バブル期に地方から上京してきて東京で働いていた青子という女の子が「もうそろそろ田舎に帰ろう」という時に、最後に、と上司に連れて行ってもらった高級寿司屋のお寿司と、彼女と同い年の新人の職人に惚れ込んでしまい、その寿司屋に通うためにバブル期の東京で働き続けることを選ぶというお話です。

彼女はその寿司屋で、ホステスをしているみきという女性に出会います。最初はお互い良い印象を持っていなかった2人ですが、2人は歳を重ねるにつれて、だんだんと共に東京を生きる戦友のようになっていきます。

そして数年が過ぎ、バブルが終わり、多くを失った青子は結局田舎に帰ることになります。そこでみきと青子の友情にも終わりがきます。みきは、青子のことを地方から出てきた同じ都会で戦う戦友だと思っていたのに、一番大変な時に、自分だけ東京から離れようとする青子のことが許せません。そのシーンの朗読をします。

女性同士の連帯がテーマの時に別れの話をしてしまいましたが、男女や同性同士に限らず、性愛で結びついている関係にはたいてい「別れる」という終わりがありますよね。

でも性愛で結びついていない関係、友情には「別れよう」といって起こる明確な別れはないけれど、それはいつも自然に起きていると思っています。

特に女性は結婚して家庭に入ることも多く、基本的に家の外で一直線に仕事をしている男性よりも「いつ働いているか」「いつ子供を産んだか」など女友達とライフステージがすれ違いやすいです。そしてそういう環境の違いによって離れていった友情を取り戻すのはすごく難しいことだと思います。

また女性には外部から女性同士の友情を引き裂こうとしてくるものがたくさんあります。男性ならただの飲み会で済むものを、女性同士が集まっているだけで女子会という名前がつけられて、特殊なもののように扱われて揶揄されたり、女同士はドロドロしていてお互いを憎み合うものなんだという考えを幼い頃から植え付けられたり、容姿を品評されて、その評価によって分断されたりです。

わたしが初めて「分断」を感じたのは、小学生の時自分が意見を持っていて、男子の希望に反した言動をした時です。その時に私はブスと言われたり、ひどい扱いを受けました。

その時に男子が持ち出してきたのが、大人しくて意見を言わず、男子の言うことに従う、他の女の子の存在でした。「〇〇さんはお前と違っておしとやかなのに、俺らに口答えするお前は女じゃない」そんなことを言われて、彼らによって「丁寧に扱う女」と「雑に扱っていい女」の二種類に私たちは分けられました。 

けれど、女の子らしいからと男子の間でもてはやされて、お姫様のように扱われていたその女の子も幸せそうではありませんでした。他人の理想を勝手に押し付けられるのは窮屈だし、「自己主張をしないこと」を褒められるのは、裏をかえせば「自己主張をするな」と言っているのと同じで、制圧でしかなかったからです。

これは学校で起きていることだけでなく、日本の女性を取り囲む環境を表していると思います。テレビを見ていても女性たちはいつのまにか、その場を牛耳る男性の司会者によって、ひな壇に座って、微笑むだけの「きれいな女」と「雑に扱っていい存在の女」の二種類にたいてい分けられています。そして両者は対立を煽られていることがほとんどです。 

それに品評され、その評価によって社会からの扱いが変わってくるとなると、悪い評価をつけられると不当な扱いを受けることになるのですから、女性は他の女性より良く見えるようになろうとするしかなく、それが女性同士で競い合うことになってしまう原因のひとつだと考えます。本当は評価をつけられること自体が間違っていて、争うべきはここではないにもかかわらずです。

それ気付き、抗議していくために女性同士の連帯が必要なのだと思います。他者の評価によって自分たちの価値を決められないためにです。話を朗読に戻すと、私は「一時でも彼女たちと強く繋がった瞬間があったことを、大切に記憶しておこうと思う。それでいい。今あるものだけでいい。」というこのセリフに救われた気がしました。

それはフェミニズムが全く根付いていないような地元で、今はもう話が合わなくなって、会えなくなってしまった、かつての女友達のことを思い出したからです。わたしは学生時代彼女たちと楽しい時間を過ごしたけれど、あの頃と同じような密接な時間を彼女たちと過ごすことはもうおそらくないのだろうと感じました。

私の地元では女子が大学に進学することはほとんどなく、早くに結婚して子供を産んで、その後非正規の仕事に出る人が大多数です。そしてそのほとんどが仕事と家事育児を両立していて、フルタイムで働いているのにもかかわらず家事育児はすべて彼女たちがやっているという話をよく聞くことがあります。

私は地元から大学に進学した時点でたくさんの女友達と疎遠になりました。私が進学をした時点で結婚をしたり、子供を産んだ彼女たちと人生の段階があまりにもすれ違いすぎたからです。

いつか彼女たちとまた人生においてどこかで交差すれば、密接な時間を過ごせることもあるのかもしれませんが、今はそれが起こるようには思えないです。でもこの本を読んで今の私はそういう人たちと出会って、楽しい時間を過ごし、別れた上でできているのだと思い出しました。 

おそらく彼女たちからすると、東京でこんなイベントをやったり、子供や家族の世話をせず好きなことをして生きている私は遊んでいるとしか映らないかもしれません。昔のようにお互いの環境やライフステージが同じまま、悩みや、考えを密接に共有できることもないかもしれません。 でも、私が考える連帯とは、女性なら全員一緒に仲良くするべきということではないです。

それは、たとえどんな嫌いな女性でも性別が女性であるということを理由に不当な扱いを受けるべきではないという考えであって、他の女性が不当な扱いを受けている時には、それはおかしいと言えることだと思っています。だから、話が合わなくなって、もう会うことがなかったとしても、私は彼女たちのことを思いたいし、それも連帯のひとつの形なのではないかと思いはじめました。 

そしてこうして少しでも思っていることを口にして行動を起こすことで、これからの状況が少しでも変わるかもしれないと信じたいです。そして、今いる女友達とも自分たちの意思に反して分断されることなく、続いていくこと、そして別れてしまった女友達ともまたどこかで人生が交わることを願いたいです。今日はありがとうございました。

Tsukasa
Sister Magazine編集長。文筆やインタビュアー、ときどき翻訳をして活動中。
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Twitter: @tsscarlett