病院の看護師をやめても生活はつづく

地元の札幌を出て上京。社会人2年目になる冬を迎えた私は、病院の看護師を辞めて老人ホームに転職をした。街に雪が積もらない東京の冬も寒い事を知った。

転職をするつもりはこれっぽっちも無かった。老人ホームの看護師になる事は「看護師のプライドを捨ててしまった」とでも言うような空気が私にべったりとまとわりついてきた。それは、経験がまだ浅く教育段階であったから だ。医療の世界から、介護が中心となる世界へと踏み出すには「自立もしていないのだからまだ行くべきではないでしょう」と言われてもしょうがなかったし、私も「そうだよな」と思っていた。

看護学生時代から「とりあえず病院で3年」という言葉をよく聞いた。指導者に教わり業務を覚える1年目。指導者から離れて独り立ちする2年目。指導者となり、教える立場で新しい学びを得る3年目。私はまるで半ばリタイアな状態。なんだか、人生に負けた気分だった。まだ23歳なのにな。美味いはずのビールを飲んでもまずかった。自炊する心の余裕も無いから、夕食は自宅でコンビニの納豆巻きばかり食べていた。今でも、納豆巻きを食べるとあの頃を思い出す。人生がまずい。

「なんで看護師になったんだろう」「なんで札幌を出てきたんだろう」そんなモヤつきがつもるばかり。そんな荒んだ私を迎えた老人ホームで暮らすおじいさま、おばあさまの生活はとても明るかった。ネガティヴなニュースが流れる事の多い介護の現場は想像とは違ったのだ。そりゃ哀しい出来事もあれば、暗くなるような話だってある。怒ることもある。それでも、そこには 明るい暮らしがあった。

歳を重ねて広い意味で「人生の終末期」のステージにいる彼らは、私よりもずっと元気でハツラツとしていた。生きるエネルギーに溢れているのだ。そして、私は看護師として関わっていくうちに元気を取り戻していた。彼らの暮らしから生きるエネルギーを貰っていたようだ。

老人ホームで暮らす彼らが集まる食堂は、陽が出ると気持ちの良いオレンジ色に染まる。窓際に座っているおばあさまが、昇る太陽を恍惚として見惚れ ていた。私も一緒に見惚れた。

ちいちゃい身体の100歳を超えるおばあさまは車椅子に座ると、私の半分以下の背丈になる。彼女の「人間はもう飽きたんだよ」という発言はずっしりと重かった。そんな、ちいちゃい身体のおばあさまに「あなたは小さいから心配よ」と言われた時は心をギュンと鷲掴みにされた気がした。彼女にとっちゃ私はまだまだ小さい。そりゃそうだ。

お風呂に入る度「やっぱり風呂は大好物だ」と満面の笑みを浮かべるおじいさまもいる。人生がまずいだなんて決めつけるには早すぎたようだ。彼らの半分すらも追いつけていない私は、彼らから学ぶ「生きる事」を眩しく思う。私の人生も彼らに負けないエネルギーを持って生きていきたい。

また、主婦層ばかりのスタッフは皆たくましく、コンビニで食事を済ませてばかりの雑な一人暮らしを営む私に「生活」を思い出させてくれた。「これならあなたでも作れるでしょう」と親子丼のレシピを教えてくれたり、いつもティーシャツとデニムで通勤する私に「おしゃれするのも楽しいわよ」と真顔でアドバイスをしてきたり。ぺたんこのバレエシューズに靴下を合わせて通勤したら「その靴を履くなら靴下は脱ぎなさいよ~」と言われたのも面白かったな。

老人ホームの看護師になり一年が経つ。相変わらず、東京の冬は思いの外寒い。酔っぱらうとつい「東京もちゃんと冬してるじゃんね!」と調子の良い言葉を吐いてしまう。老人ホームの看護師の私は人生が楽しい。生きることはとても眩しい。嬉しいことは嬉しい。悔しいことは悔しいと。自分の気持ちを素直に認め、逃さずにいたい。

人生の酸いも甘いもを、ビールをチェイサーにして味わい尽くすんだ。私も100歳を超えた暁には「人間あきたわ~」って言いたい。


あおい
札幌出身の93年生まれ。ビールと共に日々を暮らす老人ホームの看護師です。webマガジンビール女子の編集長酒井由実ちゃんと女の子ユニット 「Summer School Brewing」としてクラフトビールの多様さを「生き方の自由」と捉え、まだ見ぬビールやカルチャー、人との出会いを提供する活動をpost しています。

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