私はフェミニストなの?

高校生のころから自分はもしかしたらフェミニストなのかもしれない、と思っていました。お嫁さんになりたい、早く結婚したいという友人たちにも、様々なメディアから与えられる「フェミニン」な情報にも違和感を持っていました。

でも、実際にフェミニストに関する本や記事を意識して読んだことはほとんどありません。読むのが少し恐いとも感じています。自分が「フェミニスト」として規定されてしまうのがまだ恐いのです。

私が中学生の頃、「ケータイ小説」というものが一斉に流行りだしました。その中でも、女の子たちの間では『恋空』が人気で、クラス中で回し読みされていました。

そこにはセックスもいじめも描かれていたので、中学生の私たちにとって刺激的だったのは確かです。私も借りて読んでみたのですが、なんとなく違和感を持ちました。

周りの女の子たちは『恋空』を受け入れて 「乱暴でぶっきらぼうだけど純粋に主人公を愛している同級生」か「大人で優しく、主人公を包み込んでくれる大学生」のどちらを選ぶか楽しそうに話し、次々とケータイ小説を消費していました。

「大学生は大人ではない」ことに気づき始めた頃、『恋空』が映画化されました。『恋空』には主人公の彼氏のことを好きな先輩の嫌がらせで、レイプの被害に合うという描写があります。

本来ならば警察沙汰になるべきですが、主人公は彼氏に慰められ、それを受け入れます。映画版のレイプシーンはそれとなく匂わせる程度のもので、主人公ガッキー(少々服は乱れているがきれいにメイクのされた)が複数の男に、車から乱暴に下されるというシーンが唯一、直接的な描写だったと思います。しかも、下される場所は「お花畑」!!!

お花畑でガッキーはきれいにツーっと涙を流しました。ここで私は激しい違和感を持ちました。「最悪だ」と思いました。

性暴力に関する知識はなくとも、数回痴漢にあったことのある私には「レイプ」という言葉から、それがもっと陰惨なものであることが容易に想像できたからです。これをつくった大人はなんて想像力が欠けているのだろう、と。

私はこのシーンから、女子中高生が「レイプ」に対して「恐ろしさ」ではなくむしろ「ほのかな憧れ」を抱くように仕向けるような、大人の卑しさを感じ取りました。この「ほのかな憧れ」の正体はおそらく、自分が「性的対象」として見られている、男性にとっての「価値のある女」でありたいという欲求そのものでしょう。

それからしばらくして、ギャスパー・ノエの『アレックス』という映画を観ました。かなり過激な描写の多い、成人指定のあるフランス映画です。目を背けてしまうシーンの連続で、話が逆再生されるので何が起こっているのかわからないまま、中盤の壮絶なレイプシーンが始まりました。

輝くほどに美しいアレックス=モニカ・ベルッチが何の前触れもなく、理不尽なレイプにあう様子が、約10分間ひたすら固定カメラで映されます。顔をぐちゃぐちゃにしてうめくモニカ・ベルッチ、一瞬見て素通りする通行人、すべてがあまりに辛く、あまりにリアルで、頭をガツンと殴られたような衝撃でした。万人にお勧めできるものではありませんが、この映画には嘘がなく、私の心を打つ真実がありました。

『恋空』がドラマ化された時、新聞の社説にこのようなことが書かれていたのが目に留まりました。「こんなに変なドラマを見たのは久しぶりだ。主人公の女性は突然のキスを受け入れ、付き合ってほしいと言われれば付き合い、自分からは何も発しない。あまりに受動的なのだ」。私が違和感を持ったのはおそらくこの「完璧に受動的な女性像」だったのです。

残念ながら、今でも『恋空』のような類いの映画や小説、マンガが日本にはたくさんあって、私はそれらを目にする度ムカムカしてしまいます。昔感じたほんの小さな違和感が、今ではどんどん大きくなっています。私のように違和感を持っている人は少なくないかもしれません。でも、もしかしたら 「こんな風に感じているのは私だけなのかも」と思っているかもしれません。

フェミニストかそうでないかに関係なく、私たちは身の回りにあるものに敏感になって、取捨選択しなければいけないと思います。情報が溢れかえっている時代だから、それを続けることは容易ではありません。

それでも、違和感を持ったらその原因を突き詰めて、偽りを見抜く目を持たないといけないと思っています。無責任な大人たちがつくった「女らしさ」や「女性はこうあるべき」なんてものに惑わされたくないのです。

こう思い続けているだけで、私はフェミニストになれるかもしれないし、世間から毛嫌いされる、なんにでもケチをつける気の強い女性という意味合いを含んだ「フェミニスト」という言葉からも解放されるかもしれません。私はもう学生ですらないけれど、若い女の子たちには早くそのことに気づいてほしいと思っています。

真実に近づけば近づくほど、私たちは自由になれるんだから!

mariko
関西在住の24歳 。デカダン寄りなアートとカルチャー、アイスクリームに生かされています。