羊の上でココアを飲んだっていいよ。

少しノスタルジーな気分に浸りたくなるのは、きらめくイルミネーションを横目に吐く息の白さを痛感した後、何かから目を逸らしたことを思い出すからでしょうか。自身のものでありながら、かじかんでいる指の硬い皺に見覚えが無く不安になるからでしょうか。

それでも、この時期になるとじんわりと温かく、足元から満ちては引いていく潮のような、言い難い感情が胸に蘇ります。  

学生時代。上海から新幹線で1時間半の都市。一年間だけの限られた生活でした。

エアコンの効きが悪いとルームメイトが電話で彼氏に相談しているところをそっと出ていき、行く先は渡り廊下の先、螺旋階段の傍。

部屋の外は冷え切っているので、自分のマグカップと、ダウンを首まできっちり閉めることも忘れてはいけません。 

ノックをせずとも、いつも僅かな隙間、ドアが開けてあったので足音だけで「はーい」と返事が来るのでした。 

ここは同じ階のはずなのに、私の住んでいた部屋とは違い暖かな日光が差し込み、舞うホコリすらも時折柔らかく輝いて見えました。 

ベッドにはこの盆地の寒い冬を越す為にしつらえたであろう、ふわっふわに毛羽立った毛布と知らないキャラクター達の電気カーペットが、いつ訪れても丁寧に敷かれていました。お休みに日には畳まれていたこともしょっちゅうでしたから、お布団でも敷きっぱなしにしてしまうズボラな私は毎度毎度、いつも綺麗にしているなと感心したものです。

それらを大げさに撫でる度に、冬に誰かと過ごす温かさを感じることが出来ました。 

貴重なインスタントラーメン(豚骨味)を啜りながら学生時代の思い出話を話したり、寝転んで昔再放送されたドラマを今見たりして。どこかちぐはぐな時空、異国にいながら見る自国の文化、曖昧になる国境。どこでもない国に二人で漂っているような、あの甘い感覚。

私はこの部屋で過ごす午後が大好きでした。  

部屋だけでなく、彼女のことも大好きでした。もちろん、ロマンチックな意味で。  

励みになったし、会うと楽しかった。あなたには何気ない、日常の内だったろうけど、私には知らない世界が突然飛び込んで来たり、一方で静かに深い穴の底を覗き込んでいたりしていた。ポットから注いでくれる手にホッとしたり、丸まった背中にドキドキしたり、今思えば、何て忙しなく、愛おしい日々だったのでしょうか。

留学という心細さから、慣れない生活に疲れて、新しい人間関係に馴染めなくて、孤独を埋める為の錯覚だったのではと思う日もありました。私には初めての感覚で舞い上がってしまい、何も大事なことは言えずにそのまま帰国までパッキング、とうとう持ち帰ってしまいました。  でも、本当は分かっていたと思います。

どこそこの肉まんが一番美味しいから、ホントだって、帰ったら試してみようか、なんて話をしたけれど、こちらに戻ってから時々、ネットの海から便りは届くものの流れに流れ、一度も会ってはいません。会いませんでした。

流れる空気にどうしても溢れてしまう時は確かにあって、その時に彼女が決意して逸らした目だとか、招かれるけれど来てはくれないこととか。

彼女の決定的な言葉にしない優しさに対して、申し訳なく思ってしまい、幸福であった記憶も負い目ですらありました。

まっすぐに人を好きになれた季節を懐かしく、大切に想わないはずはないのに。 

後々にジェンダーは決して二項対立なんかではなくて、私にとってはささいなことであるし、世界はもっと多様な可能性に溢れていることに気が付いたのですが。

気恥ずかしさにちょっぴり胸がざわつくけれど、もう思い出として消化しているんだなぁ、年は寒いと聞くし毛布と湯たんぽを新調しようかな。 

なんて、今は何より温かい記憶はそのまま心に大事に包んでいてもいいと肯定している私が嬉しくて、何だか誇らしいです。 

ココアもいいな、スプーンに山盛り3杯、マグカップに今度は私がお湯を注いで、彼氏だろうか彼女だろうか、そのどちらでもない誰かにも、ドアを開いて話せる日がきっと来ますように。

あさとうみ
自分を育む、まだ途中です。生まれて3年みたいな気持ち!離島を巡りたいなぁと思って手に収まる良いカメラを探す日々です。